Emma Calvé (メッツォ・ソプラノ)
1864年3月8日スペイン・マドリッドに産まる。(1858年8月15日フランス・ドカズヴィルが正しい)
1962年1月6日フランス・ミヨーに死す。
カルメンといえば直にカルヴェ夫人を想い、カルヴェといえばカルメンを連想する程に、彼女のカルメンは古今に卓越したものであった。歌手として有名なメェリー・ガードゥンは「近代の歌劇に在っては、美しい声そのものよりも顕著特異な個性が最も必要である」と言っているが、カルメンの如きも確かに単に美しい声よりも、著しい性格を必要とするものであることは言うまでもない。
エンマ・カルヴェは聡明さと、個性と、魅力ある美しい声とを併せ持った稀なる歌手であった。スペイン人を父とし、フランス人を母として生まれた彼女はドイツ人の教師について声楽を学び、イタリアに於いて最初の成功を、そしてアメリカに於いて最大の成功を獲得した。一般には1866年に南部フランスのアヴァロン近くの一村に生まれたとも言うが、何れにしても歌劇『カルメン』の如く、彼女はフランスとスペインとの混血児であった。
貧しい家族を遺して父に早く逝かれた彼女は、修道院で歌って居たということであるが、一日パリから来た旅の一紳士が彼女を聴いて、極力パリに行くことを勧めたので遂に意を決してこの黒い瞳の少女は修道院の静寂裡から、華やかなパリの都に出て、かのメルバ等を生んだマルケージに就いたのであった。
二年後南欧ニースでデビュー、次いでパリのオペラ・コミークに出演したが当時の世評は決して香しいものではなかった。前途の光明を失った彼女はピレネーの麓近くにある我が家に逃避して、静かに心身を養い、イタリーに赴いて有名な女優エレオノーレ・デューゼの妙技に深く動かされ、ミラノのラ・スカラで「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥツァに扮するに及んで、最初の成功を獲得したのであった。以後この役を以って、パリ、ロンドンで非常な好評を博したが、然し彼女が永久に記憶されるのは矢張りカルメンである。
凡そ歌手にとって、このカルメンほど魅力のあるものがないと共に、この役ほど難しいものも又少ないであろう。大胆な浮気女で、熱情的で、この種の女に多い迷信的なものを持ち、媚、痴情、誘惑、脅迫、冷淡、恐怖といったような、凡そ人間の持ちえる種々なる感情を次から次へと表現しなければならないカルメンは、単なる歌手には到底務まらないものである。カルヴェのカルメンは一批評家が「彼女の扮するカルメンは、ジプシーの衣装の色の如くに鮮やかである。普通の時の彼女の顔は決して美しいという程のものではないが、然し一度表情が動く時絶えざる感情の変化によって、無限に移りゆくジェスチュアと共に、これらの心の動きの総てが反映してゆく」と言った程である。嘗ては女優としての資格に乏しいと言われた彼女も、デューゼの演技に深く影響されて、又彼自身の努力により屈指の女優となった。
のみならず歌手としての彼女も又傑れて居た。その声の表情的で変化多く、ヴィオラの音のような純粋さを持った低音部からソプラノの最高音に至るまで甘美そのものであった。彼女が他のあらゆる名カルメンを凌駕して、古今の名カルメンと言われる所以である。