Kumamoto Gramophone

ユモレスク ドヴォルザーク作曲

ユーモレスク 変ト長調 作品101 第7番

交響曲「新世界より」や「スラブ舞曲」の作者として名高いボヘミア(現チェコスロヴァキア)の作曲家ドヴォルザーク1の数ある作品中でも「ユーモレスク」は、広く親しまれています。

「ユーモレスク」は、アメリカ滞在の3年目の夏(1894年8月)、帰国してヴィソカーの別荘で過ごしているときに書かれました。
ピアノ曲集『8つのユーモレスク』作品101の第7曲目にあたるこの曲に、ある人はこれに悲しい歌詞をつけ、また、ある者は陽気な歌にして歌いました。他の7曲は現在ではほとんど演奏されないようです。

この曲集は、ドヴォルザークがアメリカでメモしていた材料も多分に使われ、この第7曲にも、黒人音楽に使われるブルー・ノートや、5音音階への傾斜がチェコ的な音楽語法と重なり合っているそうです。
彼の素朴で温かい人柄がにじみ出た小品でしょう。
「ユーモレスク」とは言葉の意味から言えば『諧謔(かいぎゃく)=おどけ、道化、冗談、ユーモア』となりますが、音楽にこれが用いられ、特に器楽曲になった際は、単なる小品になってしまいます。

ドヴォルザークのピアノ独奏曲は、舞曲や表題を持った小曲集に収められたものなどのべ約80曲もあります。
数から言えば決して少ないとはいえませんが、このユーモレスクなどごく少数の例外を除いてはあまり親しまれていません。

その理由として、一説によると、「チェコの農村に生まれたドヴォルザークは、少年時代からヴァイオリンにはよくなじんでいたが、ピアノに親しんだのはずっと後のことで、ヴァイオリンに対して抱いたような親近感は、ピアノに対しては生涯ついにわかずじまいに終わっている、そのためかドヴォルザークのピアノ曲が、本来のピアノ的な語法と少し異質なアクセントを持っていた」とのことです。

しかし、1903年にヴァイオリンの名手、F.クライスラー(1875 – 1962)が、病気のドヴォルザークを見舞った折にこの曲を見つけ、ヴァイオリン独奏用に編曲してから、この曲が大変ポピュラーになったようです。


  1.  A.ドヴォルザーク(1841 – 1904)
    プラハから北へ30キロに位置するネラホゼヴェス村で生まれた。家の目の前にはモルダウ河が流れ、両岸には、金色に輝く麦とトウモロコシ畑や小さな森、果樹園等が広がる、のんびりとした村だった。肉屋を兼業とする居酒屋の長男として生まれ、家業を継ぐため、生肉業者としての修行もしていたが、音楽的才能を認められ、苦学の末、作曲家になった。特に、8歳年上のブラームスに目をかけてもらったことで、世界的な影響力を持つ「ジムロック出版社」の契約作曲家となり、多くの作品を発表していった。また、彼は鉄道マニアでもあり、蒸気機関車や運転手の名前まで覚え、毎日のように駅で列車を眺めていた。
    ◆主な作品
    交響曲第9番 ホ短調 作品95 《新世界より》
    スラヴ舞曲 第1集 作品46、スラヴ舞曲 第2集 作品72
    弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96 《アメリカ》
    ユモレスク 変ト長調 作品101-7
    ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53
    チェロ協奏曲 ロ短調 作品4104